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当団について

当団について

合唱団「ムジカ・スラーヴィ」は、セルゲイ・ラフマニノフ作曲「晩祷(徹夜祷)」を専門に歌う合唱団です。ラフマニノフの最高傑作と言われるこの曲を、全曲演奏してみませんか?
ドラマティックな西洋音楽とロシア正教音楽のロシア独特の雄大さを融合させたこの曲の素晴らしさを体感すべく、練習に励んでいます。

ラフマニノフ「晩祷(徹夜祷)」

「晩祷(徹夜祷)」<ばんとう>(Vesper)と訳されることがあるが必ずしも間違いではないが、徹夜祷<てつやとう>(All-night vigil)と訳したほうがより正確)は、東方正教会(英:Eastern Orthodox Church)における奉神礼で、一日の始まりの日没から明け方にかけ、徹夜で行われる奉神礼のことを指す。ちなみに、英語名の「Orthodox」は「正しい教え」を意味する。


東方正教会とは、中東・ギリシャ・アナトリア・東ヨーロッパに広がり成長したキリスト教諸教派(ギリシャ正教・東方正教会とも称される正教会および東方諸教会)の総称。

正教会の歴史は、宗教革命によるカトリックとプロテスタントの分裂よりもさらに遡り、ヴィザンチンの時代、西暦1054年の東西教会分裂にまで遡る。
正教会にはキリスト教の古いしきたりが多く残る。長い断食(心身共に清める)『齋』<ものいみ>を行い、復活祭を迎える、というようなしきたりや、教会への楽器の持ち込みを禁止しており、唯一の楽器は教会の鐘の音と人の声だけである。このような歴史的背景と東欧独特の民族性との中、東方正教聖歌の重厚な無伴奏音楽が培われていった。

セルゲイ・ラフマニノフ(Сергей Васильевич Рахманинов, 1873年 - 1943年)
交響曲やピアノ協奏曲で有名なラフマニノフであるが、東方正教聖歌やヴォカリーズ、歌曲等も作曲しており声楽にも精通していた。作曲家として名を残してはいるが、音楽家として多彩であった彼は、ピアニストや指揮者としてもすばらしい演奏を残している。数は少ないが実際にラフマニノフが演奏したピアノや指揮をした演奏の録音が現存する。

 

「晩祷」が作曲されたのは1915年で、わずか2週間足らずでこの大曲を書き上げている。「熱心な信者ではなかった」とされるラフマニノフが、「聖金口イオアン聖体礼儀」に続き、「晩祷」を書き上げたことは周囲から驚嘆の声をもって迎えられた。しかし、彼の作品全般を通してみれば、彼が子供のころ、祖母の手に引かれ通っていた教会で耳にした、古い東方正教聖歌の旋律が色濃く現れている。

 

「晩祷」は、難曲のため現在の正教会においてミサの際に歌われることはほとんどない。一説には復活祭のころ、オフシーズンになるボリショイ劇場の歌手のために、演奏会用として書かれた曲との説もある。(正式にはモスクワ音楽院在学中の恩師スモレンスキイに献呈したものとされる。)また、旋律が美しすぎて聴き入ってしまい、祈りの場である教会に適さない、という話もある。ヘンデルのオラトリオ「メサイア」が3週間強で書き上げられ、その目的「オフの歌手のための宗教曲」として書かれている点と似ている。しかし、初演後はまったく別の道を辿る。

 

「晩祷」の作曲から2年後の1917年、ロシア革命の勃発である。ロシア革命以後「宗教はアヘン」とするソヴィエト政権の宗教弾圧によって、宗教はおろか正教聖歌を演奏されることさえ禁じられる。この歴史によって、正教聖歌が失ってしまったものは計り知れない。その後、1965年にアレクサンドル・スヴェシニコフ指揮により全曲録音され、突如西側でブレイクし、ふたたび脚光を浴びることとなる。現在では、この「晩祷」がラフマニノフの最高傑作とする評論家も増えている。

ラフマニノフ自身が「西洋音楽と東欧音楽の融合を果たした」と言ったほど、正教聖歌のハーモニーを残しつつ、西洋音楽的なドラマチックな進行が、他の作曲家の晩祷とは一線を画し光を放っている。

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